タグ: 脳幹梗塞

  • 右側

    動かそうと思っても、動けなかい右側。でも、完全に動かせないわけではなく、脚と腕から先は動かせず、右肩から股までは動いた。感覚は残ってた。時々指がぴくっと動きその感覚もあった。

    顔の半分、右側は相変わらず殴られたように痛くかった。右目はピント?があわないらしく、字は読めない。右耳はキーーーンという耳鳴り?やら、ドクン、ドクンという心臓の動きが聞こえたけど他人の声は怪しい。鼻は右側の感覚と匂いがわからず、舌は全体がしびれてた。飲み込めないから、味はわからない。

    管は感覚のない、右の鼻に入っていた。痛みがわからない左の腕には投薬、点滴の管がつながれてた。SCUにいたときは、呼吸、心臓などのモニターが繋がれてた。自分の意志での移動は事実上無理。何かあるたびに看護士さんを呼ぶ生活。

    それに看護士さんが通るたびに、変化を聞かれて、心が休まるのは寝ている時だけ。生きているというより、生かされている気がしたね。ちょっと動いてセンサーの位置がずれると、ピーピーなって看護士さんがきてセンサーの位置を戻す。

    右側の麻痺が喉にも来てて、嚥下障害が出てた。飲み込めないので、吸引機で口の中を出す。通常時は唾くらいかな、出せばいいんだろうけど、鼻と口が繋がっているのを再確認するくらい、鼻水が流れ込んでた。吸引機ではこれを吸い出して、最初のころは吸い出したものを毎日捨ててたし、3日くらいで吸引機のチューブが詰まった。

    吸引機があるベッドから離れられない。検査のときとリハビリの時はは離れるから、この時が大変でした。

  • 一か月目まで

    院内感染して隔離された。この日、弟夫妻が来ていたけど受付で帰されたえされたと、後日聞いた。本人は熱で苦しむもリハビリが中止と聞いて、心のどっかで安心してた。

    普通のインフルの異なり、脳幹梗塞後、なんなら可能性が否定できない状況で感染したものだから大変。通りすがりに様子を見ることもできなくなり、完全防御のような状態で見回りや管の手入れに来た。主治医は気楽に来られなくなって、ほぼ会えなかった。

    この頃には管から栄養とか投薬をしてた。ベッドに横になりながら補給。この間は仰向けのまま体制維持。食事は気持ち悪くなることを考慮して、1パック(300キロカロリー)を30分以上2つ。これと水が毎食前にあり朝昼晩と寝る前。排尿を寝る前にしておかないと夜中に確実にお起き、看護士さんを呼んでも来るまでに15分とかざら。尿瓶の利用をすすめられた。

    水も朝が300ミリリットル、それ以外が600ミリリットル。食事?だけで2時間超えは当たり前。まとめると1800キロカロリーと2.1リットルの水の摂取に7時間くらいベッドから動けない時間使ってた。

    リハビリは大体午前に腕、午後が飲み込みの筋トレと歩き。40分一コマの120分コース。移動は車いす。ほぼ食事とリハビリで一日が終わってた。

    このリハビリが感染中は中止と聞いて、ありがたいのと、焦りもあった。というのも、梗塞してから90日はダメになった部分を肩代わりする脳をつくるのに大事とされているから。しかし、動けない、気持ち悪い、自分と向き合う時間もなく2週間ほど過ぎたから、ちゅどよい時間にも思えた。

    が、隔離されて数日後、元の部屋に戻った。全員が感染。インフル怖えよ。開けっ放しだったドアをしめ、入手時には完全防御。しかしながら、看護士さん間でも流行。

    結局、年末年始を一人で過ごし、自分がいたインフル部屋の制限が解除されたのは、自分が感染してから3週間後だった。

  • 入院直後

    SCU(Strok Cute Unite)と呼ばれる、よく知られてるICUの脳版に入院した。脳卒中の専門病院は年齢が高め。そりゃそうだ!若いから、と何度も看護士さんから聞いた。けど、アラフィフには「そうかな??」と思ってた。

    SCUにいたころは2日目までは普通??だったのに、2度目の詰まりから目の前を通るたびに声をかけられる。ただこの頃は身体を動かすだけで気持ち悪く、寝ている姿勢以外吐きそうだった。このころはオムツをはかされトイレに行く必要がないようにされてた。

    動くのに難儀されていたころ、車いすへの乗り継ぎの練習がPT(理学療法士)さんとした。最初は身体を起こすのも大変。しかも、右側が動かないし。筋肉で何とかしている、って言われえたなあ。

    ベッドから車いすも右側だと脳が揺れてダメになるから、PTさんの意見で左側限定になった。右だと気持ち悪く車いすどころではなかった。

    車いすに移っても脳の揺れが収まってから部屋の中10メートルから始めたけど、検査とかベッドで移動してた。平日は検査とリハビリの車いすへの乗り替えメインだったし、車いすでの生活になると思っててた。

    脳への危機が去ったとSCUをでて一般病棟。ここでもナースステーションの横、一番近いとこ。ここらへんで、重症ってことに気が付くべきなわけなんだけど、気が付かななかった。

    入院して2週間くらい、食べられないのと薬のタイミングから胃ろうの話が主治医からでてた。即座に返事はしなかったけど、プロが勧めたという理由で、する方向でと心は決まっていた。午前中に主治医は毎日来て話をしてたよ。

    今までの報告と今後のことで医師や看護士を交えての会議。本人参加が原則なのに15分でギブアップ。座るのが苦痛。自分のベッドに戻りたいと看護士さんに伝え戻ってた。30分後くらいに家族が来て、ありがたみを感じた。逃げるように去った元カノのことのあったしね。

    翌々日くらいに病室に新しい患者が別の病院からきた。このころから発熱してリハビリが中止。と同時に、鼻に綿を入れての検査。温痛覚無効なので全然痛くなくて、看護士さんが驚いいていた記憶。たぶんこの人の持っていたインフルエンザに感染。即、隔離された。年末なのに…

  • 退院

    合計半年にもおよぶ病院生活。倒れた時には考えもしなかった。

    緊急搬送され手術を受けた。足の付け根から脳にカテーテル。意識はほとんどなかった。最初の手術終わり意識が戻ったとき、医者に「すぐにここに来れて良かった。今の状態だったら1週間から10日で退院ね。」といわれ、SCUに入れられた。その後仕事の連絡とかしてた。

    2日目、午前中は仕事の連絡をしながら過ごし、10日ほど仕事を離れ休息だと思ってたし、本人は軽症のつもり。

    昼を食べてたら、なんか飲み込みがしにくく、がんばってたら誤嚥を起こし激しく咳き込んみ、直ぐにカテーテルで吸いだすも、この頃には意識がなかった。次に意識が戻った時、「今回も助けられたけど、今度詰まったら命の保証はできない。覚悟をしておいたほうがいい」といわれた。

    この時はとにかく気持ち悪く、力を入れても入らない感じ。比較的動く左手でスマフォに遺書らしきものを書いたり、送ったメッセージに後日返事が来たな。ほとんどががばってという中、代読してもらってる看護師さんに、もう少し元気になったら言われたのがあって、それでよからぬ返事なんだろうとわかって読んでもらって二人で泣いたよ。

    病室に戻ったら飲み込みができないということで、吸引機作動。ベッドから動けないなって思ったのをおぼえてる。そして鼻から管を入れて、食事、薬、胃に届けるって。何が起きているかわからない。何かあってはということでナースステーションに一番近いところが指定席になった。

    緊急搬送されたときはこんな感じ。最初のひと月は気持ち悪いし、右側に力がはいらなくて、半分でも動けば御の字と思っていたし、楽して食べなくても栄養は摂れるし(使わないから舌が真っ白)、それが退院するんだもん。

    退院するとき病院をでれてうれしかったなー。あれもしたい、これもしたいと想像してたけど、できね。身体が、なまじ記憶しているから、まどっろこしいけど動かない。退院時は嚥下障害、左側の温痛覚無効、右側の麻痺が残ってる、平衡感覚喪失、座っているのが30分くらい、見た目普通。緊急搬送後ひと月後の結果が介護保険の認定3だしな。人間の回復ってすごいな。

    こんな感じで自分の体験を綴っていこうかと。