SCU(Strok Cute Unite)と呼ばれる、よく知られてるICUの脳版に入院した。脳卒中の専門病院は年齢が高め。そりゃそうだ!若いから、と何度も看護士さんから聞いた。けど、アラフィフには「そうかな??」と思ってた。
SCUにいたころは2日目までは普通??だったのに、2度目の詰まりから目の前を通るたびに声をかけられる。ただこの頃は身体を動かすだけで気持ち悪く、寝ている姿勢以外吐きそうだった。このころはオムツをはかされトイレに行く必要がないようにされてた。
動くのに難儀されていたころ、車いすへの乗り継ぎの練習がPT(理学療法士)さんとした。最初は身体を起こすのも大変。しかも、右側が動かないし。筋肉で何とかしている、って言われえたなあ。
ベッドから車いすも右側だと脳が揺れてダメになるから、PTさんの意見で左側限定になった。右だと気持ち悪く車いすどころではなかった。
車いすに移っても脳の揺れが収まってから部屋の中10メートルから始めたけど、検査とかベッドで移動してた。平日は検査とリハビリの車いすへの乗り替えメインだったし、車いすでの生活になると思っててた。
脳への危機が去ったとSCUをでて一般病棟。ここでもナースステーションの横、一番近いとこ。ここらへんで、重症ってことに気が付くべきなわけなんだけど、気が付かななかった。
入院して2週間くらい、食べられないのと薬のタイミングから胃ろうの話が主治医からでてた。即座に返事はしなかったけど、プロが勧めたという理由で、する方向でと心は決まっていた。午前中に主治医は毎日来て話をしてたよ。
今までの報告と今後のことで医師や看護士を交えての会議。本人参加が原則なのに15分でギブアップ。座るのが苦痛。自分のベッドに戻りたいと看護士さんに伝え戻ってた。30分後くらいに家族が来て、ありがたみを感じた。逃げるように去った元カノのことのあったしね。
翌々日くらいに病室に新しい患者が別の病院からきた。このころから発熱してリハビリが中止。と同時に、鼻に綿を入れての検査。温痛覚無効なので全然痛くなくて、看護士さんが驚いいていた記憶。たぶんこの人の持っていたインフルエンザに感染。即、隔離された。年末なのに…