投稿者: jj

  • 理学療法(足)のリハビリ

    歩く。これがね、難しい。無意識でスゲーことしているなって、何度も思ったよ。右足の感覚はあるけど、いうこと聞かない、左足は、感覚がないけど、コントロールできる、これで歩こうってんだから、大変だよね。

    とにかく、胃ろうができたころから、車いすに乗りつつの歩くということをしてた。平均棒をつかみながら、体重を前に移動させる。足に体重が乗ったら移動、書くと簡単だけど、これを繰り返すのは難しいし、ましてや、無意識だなんてすごいよね。

    片道5メートル、ほんと、遠い。ヘロヘロになりながら歩く練習の日々。右側の筋肉の使い方を忘れて1から覚えこませるの。脳幹梗塞で平衡感覚がなくても歩くのは、できなくはないけど、ながーい時間がかかりそう。手で触ると上下が分かるけど、平衡感覚があれば無意識でやってるってすごいなと思ったよ。

    移動は車いす、理学療法士さんの届く範囲内で歩く練習。5メートルが遠いなんてね。そして、胃ろうの手術の糸がある状態で、痛いながら歩く練習で、背筋を使って変な癖がついたけど、歩くほうが優先だった。

  • 発熱

    術後一週間目に、謎の発熱。コロナやインフルエンザの世間では痛いといわれている検査をするも、痛覚無効が効いて全然痛みがなかった。

    が、陰性。

    で、術後のお腹の傷跡も倦んではいるけど通常の範囲。でも、発熱。原因はわからないけど、発熱に対する治療をする。リハビリも中止。しょっちゅうリハビリが中止になってるな。

    2日目の午後からは熱も下がり始め、治療が成功かな。この頃には手術の傷もふさがって、おなかに力を入れると、糸が引っ張られていたい。

    まだ糸があったころ、移動のメインは車いすだけど、立ってみようってことになり、リハビリ室の平均棒で立ってみる。まだ微熱があるんだけどなと思いながら、立つと、棒を握って歩いてみる。右足が言うことを聞かないけど、右足を棒と思えば、左足で動けるから、ま、いいかな。って、思ってた。

  • 術後

    夕方まで痛みがなかったけど、徐々に痛くなってきた。看護士さんには「おなかを切ったから、何日かは痛いよ。」と言われたけど、どんどん痛くなる。

    おなか周りにサポータを巻いてたが、それどころではない。おなかの筋肉は使わない、とだいぶ痛みが抑えられるが痛いことには変わらない。その日は睡眠薬で寝た。

    意識が明け方に戻り、い、た、い。血液サラサラの薬を止めているから、看護士さんはしょっちゅう来るけど、血管が詰まっていないかの確認。

    朝の巡回、昨日の手術跡を主治医をはじめとする先生が確認。傷が繋がる数日は痛いらしい。術後の経過は悪くないとのこと。

    昼前、車いすへのリハビリ。お腹が痛いんだよ。なるべくお腹の筋肉を使わず、背中側で乗るってことをしていたようで、1月後に、筋肉が落ちてた。

    3日ぐらいは出血もあり、車いすの移動しておしまい。出血中はリハビリの種類も限られ、ベッド上で腕や足を動かしてた。筋肉が落ちないようにと、らしいけど、落ちるんだよね。

  • 胃ろう

    手術の日、朝一で身体に繋がれていたチューブがはずされ、鼻からな管も取った。今まで薬を、食事、水分、を届けてくれて、ありがとうと思ったけど、看護士さんはテキパキとやる。

    9時半にベッドで手術室へ。手術用のベッドに移動させられる。そして、名前と書類(同意書)の確認。、麻酔前にアレルギーとか金属の有無の確認してたら、主治医が来て「胃ろうを作るから」と言われ、看護士さんは簡単な手術だから、というけど、やられるほうの身になれって。

    麻酔のマスクを被せられ、1分には意識が飛んでた。

    次に意識があるのは、手術の後、14時くらい。自分の部屋、自分のベッドで寝てた。この時はまだ麻酔が効いてて、お腹の感覚がなかった。今日はリハビリがないと聞いて、ホッとするも、水分補給とか薬とか、胃ろうからするって。マジかッと思ったけど、そういうもんだって。

    術後は、今までの管と違い、感覚、もっぱら違和感、から解放されて、すっきり。看護士さんに接続してもらう日々の始まり。管の時と補給の時間的な差はなかったけど、鼻からの管がないだけで、楽。

  • 解除

    待ちに待ったインフルエンザ体制の解除。自分のところは13日からと聞いたが、この日は休みだから翌13日からと。20日くらいインフルエンザ対応してて、封じこめたから現代の医療ってすごいよね。看護士さんが感染等の犠牲があったけどね。

    院内感染するとは思わなかった。そして熱にうなされたり、普通じゃ経験しないようなことも経験した。この期間、リハビリに制限があったのは痛いけど、いい休みになったと思えばいいかな。

    動かなかった右手、右足が動くし、ね。ただし、動かそうとするとブーンと動くような感じ。0か100かって言われたよね。物も持てないかな。スマフォとか支えれるけど持つとなると、指の力が入らないのか、持てない。スクリーンも反応しない。左手が大活躍よ。

    解除に日、体重を計った。10キロ減、あうあうだな。6週間で10キロ減。ま、動けないし、食べられないからな。そして恒例のMRIの検査。次の日、主治医から10日後24日に胃ろうの手術をするから、準備に入ると。出血するから血液サラサラの薬を一時的にとめるからと。看護士さんが手術の同意書等々持ってきて、署名してくれと。右手で線を描いたよ。名前って難しい。

  • 転倒

    インフルエンザでドタバタの年末から新年が終わった。看護士さんの間ではまだ流行っていたが、入院患者はいつ解除されるかが気になりだした。他の部屋は解除されたとか聞こえてくるが、持ち込んだこの部屋はなかなか解除されない。

    正面ベッドの爺さんが時期的に持ち込んだ人と思われたが、耳が遠いせいか、声がでかい。たぶん、「お前だよ、お前」ってこの爺さん以外思っていたと思うが、この爺さん、インフルエンザの感染が他人事。これを毎日リハビリの人に同じ話を伝えている。正面、声のでかさもあり、このことが聞こえて、なかなかシンドかった。

    1月の五日から先生の回診やベッドの上限定のリハビリが始まった。主治医には去年の暮の胃ろう作りが遅れてて、インフルエンザの騒ぎが解除されたら手術するから準備しておくと聞いた。が、終わりが分からない。

    ベッド上限定のリハビリと言われていたが、車いすの乗り降りはokらしく練習してた。ある日の夜、車いすが変なところにあったから、手の届く範囲にしてもらおうと看護士さんに移動してもらった。が、ブレーキのかけ忘れか、車いすが動いて転倒。すぐに看護士さんが集まって、ベッドに戻す。頭を打ってたため、「気持ち悪くないか?」と聞かれる羽目に。

    転倒して頭打つと、死亡率が跳ね上がるということで、連絡先の妹に連絡が行った。看護士さんの見回りが強化された。気にしないでというが、気になる。朝一で頭の検査。転倒のことや麻痺もあり、 ということでベッドでの移動何回目だ???

    幸いなことに、検査時点では大きなけががなく、3日は様子見ということに。本人は平気だけど、頭を打ったということで、警戒されてた。看護士さんが通るたび、リハビリするたびに、「気持ち悪くないか」聞かれた。一週間は聞かれていた気がする。

    車いすへの乗り移り、看護士さんから中止したほうがいいと声があったらしい。すなわちベッドで生活できるようリハビリを変えてほうがいいと見解が出された。が、車いすに乗り移れないと行動に制限が出るし、なにより本人が車いすに乗ると信念があるからと、この意見は次回転倒したら考えると、リハビリの人から後日聞いた。「転倒するな」、これが絶対になった。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

  • インフルエンザ

    いやはや強力だね。いや、猛威か。最初の患者。胃ろうの手術、頑張れば年内、って主治医から聞いてた。熱が出たときに、脳幹梗塞がらみじゃないかと様々な検査を色々受けて、その検査の中に、コロナと市中で猛威をふるっているインフルエンザもあった。

    翌日朝、ベッドの移動。個室だよ。検査の結果、インフルエンザに感染。直ちに隔離されたよ。問題は感染経路。2週間以上入院してて、潜伏期間を考えれば院内感染。熱で朦朧としている頭で、転院してきた爺さんが持ち込んだ???と思ったけど、自分の体調を整えないとリハビリもできないと、とりあえず、治療に専念。

    次の週に、元の病室へ。なんでも感染が広まり、この病室をはじめいくつかが隔離の病室になった。熱が下がったら看護士さんの何名も感染していると聞かされた。大変な仕事だよね。それまでは自分のベッドではマスクはしなかったけ着用。地味にマスクはつらい。

    隔離病室の間はリハビリは中止。部屋から出られるのは、トイレくらい。看護士さんは完全防御。検査室もいけない。暇との戦い。

    気持ち悪いのは続いてたけど、右腕や右足が0か100だけど、ブンと動くようになった。時間がたって脳が回復したからなのか、熱で新しい回路ができたからなのか、両方なのかはわからないけど、嬉しいかった。隔離が解除されたらリハビリ頑張ろうと思った。

    結局、インフルエンザの菌は転院してきた人が持ち込んだ、ということになったけど、エレベーターホールの張り紙には、インフルエンザ等の感染予防ってことで面会のルールが少し厳しくなったと張り出ししてた。

  • 洗面台が部屋の入り口にあった。ほかの入院患者は食事のあとの歯磨きとかしてた。いちおう部屋の外、部屋のドアのところにあった。反対側のトイレに行って、手を洗うことを想定したつくり。しかし、トイレ後の洗面台に放置ってこともあった。むしろ、看護士さんの呼び出しのボタンがないから放置率は高かったかも。

    洗面台に鏡があって、ここでリハビリの練習をしてた。顔の右半分は麻痺でほとんど動かない。特に口の動き、「い」「う」は壊滅的にダメだった。左側を見ながら、発生の練習をしてた。場合によっては左手で右唇を動かしてた。

    しかしながら気持ち悪さがあり、車いすに座ったまま、下を向くことが多かった。気落ちしている??と思われたらしく、廊下で自主トレをしている人から「大丈夫だよ」と背中をさすってもらったりもした。

    自分の自由にならない様子や、元カノが去ったりと、精神的につらかった時に、これはありがたかった。話すのも発声するのも難儀してた時だから、ほんと心強かった。

    この頃かな、右目の瞼も半分くらいしか閉まらなくなっていたのが分かって、口もそうだけど、けっこう変な感じの顔になってた。鏡を見るたびに、このエピソードを思い出すのは、たくさん口の練習を鏡をみながらしたけど、よっぱど気持ち悪かった。まだまだ脳は揺れに敏感で、ちょっと動くだけで気持ち悪くなってた。

    目のマッサージってのをPTさんからおそわり、鏡を見ながらしていた。瞼がちゃんと閉まらないと、目薬を寝る前とかにしなくてはならないらしいから、トイレに行くたびにしてた。

    そんなことしてたら年の瀬になりの、インフルエンザの感染。

  •  車いすの乗り降り

    最初の段階、というか、移動手段として車いすまでの乗り移りの訓練。ここができないとベッドで生活することになる、と脅される。真実だけどな。

    「この程度、余裕でしょ」、と思うけど、当事者からすれば大変。まず、上体を起こしただけで、気持ち悪い。徐々に頭の角度、すまわち「脳を揺らす」ことがゆっくりであるほどダメージが少ないことがじょじょに分かった。看護士さんもPTさんも、誰もおしえてくれない。後日PTさんに聞いたら、千差万別で人によるけど、気持ち悪さと速度の関係はしらなかったと。

    脳幹梗塞は延髄への血流が途絶えることで起き、呼吸困難、心臓が止まる等で極めて命を落としやすく、自分のように動ける人が珍しいと看護士さんが言ってた。

    上体を起こしたら、力を入る左手を軸にして回転運動でベッドに90度になり足をベッドから出す。サンダルやスリッパのみ認められてなかった。靴のようにかかとのあるものは、頭を上下運動があるため、あの頃の自分には、負担になっていたと思う。そして自分の場合、右回転すると眩暈がひどかったので、ベッドの乗り降りはPTさんの指示で左側となった。

    サンダルを履いたら、上体を前に倒して左手で車いすの手すりを持ち、左足に力を入れてお尻を車いすへ押し込む。ほんと最初のころは気持ち悪いし、身体が平衡感覚の喪失に慣れず、上下感覚が分からなかった。ふわふわしている感覚は常にあったから、乗り移るのも一苦労。でも、できないとベッドでの生活&介助と。

    トイレくらいは自力でと思い、これを教えてもらってからは、看護士さんを呼んで車いすでトイレまで押してもらってた。トイレについてから便座への乗り移りも、ほぼ同じようにやってた。出たものを看護士さんに確認してもらい流してもらったうのは、精神的にきつかった。逆の手順でベッドに戻る。1回のトイレが15分最低とかなった。看護士さんが忙しいと時はトイレに放置とかあった。呼び出しのボタンを押すんだけど、ポツンとトイレにはいったまま。

    吸引機はなかったけど、便器に口の中のもの、唾液かな、は吐き出してた。麻痺で吐くこともできなく人もいるなか、自分は吐けた。

    今は退院したから良かったけど、あの頃は四六時中気持ち悪く、早く横になりたかった。車いすに座るのも、麻痺の影響もあり、前述の気持ち悪るさもあって、しんどかった。

  • 検査

    脳幹梗塞の基本の検査は、MRI。特殊なものなのか、専用の細いベッドが用意され、轟音の中にいるから耳栓を技師にされる。そして、頭が動かないように、ウレタンのようなもので首から上を固定する。

    検査行くのもベッド。行くときだけ、機械を外され、腕には管を繋ぐところ以外は外された。ベッドで移動なんだけど、身体についているものを取った後、看護士さんに押されて検査室へ。

    検査室の入り口で、専用ベッドの移動。動かないけど感覚がある右側。はっきり言って、ベッド間の移動は痛い。負荷が身体のどこかに集中するためかな。

    専用ベッドに移ると、ティッシュが渡され、口の中の余計なものを技師に言われる。口の中のものを出すと頭を固定されて撮影。このときに「動くな」といわれる。撮影中耳栓をしているとはいえ、うるさい。そして口の中に溜まって来るんだよね。溜まると吸える吸引機のありがたさ。勝手に溺死しそう。なんて思っていると終了。

    頭を固定してた器具が外され、口の中のものを吐き出し、ベッドを移り帰って機器の装着。SCUにいたころは3日に一回撮影してたな。

    血液検査もあったけど、こちらは痛みを感じない左腕でしてた。SCUの看護士さんは歴戦の強者が多く、一発でできてた。一般病棟移ってからは、5回刺して失敗して選手交代とかあったけど、痛みを感じないから気にしてないけど、失敗した看護士さんはしきりに謝ってた。ただ、血液サラサラの薬のせいで血が止まらないのには困った。